義家氏のプロフィールでの過去の流れに、自らの意志で自由に行動が出来るようになった1993年以降について、数秘術での課題や行動のタイミングを<>内に記して説明してみました。
■で始まる文はHP上のプロフィールです。
義家弘介 プロフィール
http://www.yoshiie-hiroyuki.com/profile/ より
■1971 年3月31日
3月31日長野県長野市に生まれる。
■1987 年
高校2年の春、暴力事件を起こし、放校処分を受ける。
同時に親からも絶縁され、児童相談所を経由し里親の元へ引き取られる。
■1988 年
廃校の危機を迎えた北星学園余市高等学校が、全国から中退者を受け入れるという新聞記事がきっかけとなり、傷心の思いをひきずりながら、同校の門を叩き編入。
■1990 年 明治学院大学法学部入学。
■1993 年
大学四年の秋、オートバイで交通事故を起こし、内臓破裂で生死をさまようが、高校の恩師、安達先生が駆けつけ、手を握り締め励まし続け、奇跡的に命を取り留める。意識を取り戻した後は、自らの考え方・生き方を変え、教師になる決心をする。
<この年は数秘術的に見ると9年ぶりの新規スタートとなる年です。>
■1999 年 採用試験に合格し、母校の教師になる。
<自分自身の今後のために大きな決断や行動をするタイミング>
<2001年 基礎形成期を終え、生産期という自らの人生を歩み始める第二のサイクルスタート、38才までの生産期では、基盤作りをすること、形作りをすること、ルールを作ること、それを着実に、計画的に、段階的に行うことがテーマとなる9年間>
■2003
年4月 北星学園余市高等学校の過去15年間のドキュメンタリー番組『ヤンキー母校へ帰る〜超不良が母校の熱血教師に!日本一泣ける卒業式まで・・・』が放映される。
■2003 年10月 TBS系列ドラマ『ヤンキー母校に帰る』(竹之内豊主演)が放映され、話題を集める。
<自分の事を表現して行く年となります。自分の考えや感情などを周りにアピールして行くべき年、社交性の実践>
■2005 年3月末日
母校北星学園余市高等学校を退職。
<2004〜2005春まで自分の今後について、自分自身の結論を確信し、納得して変化のための行動をする時期>
■2005
年4月 横浜市教育委員会教育委員に就任。
<2005年4月以降は自分の可能性をより追求するために、色々な事に挑戦>
■2006
年4月 東北福祉大学特任講師に就任。
4月〜12月、警察庁「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」研究員に就任。
■2006
年10月 内閣官房「教育再生会議担当室」室長に就任。
<2006年4月以降は、過去数年間に自分が行動してきたことが、外の世界で具体的な結果になり周りも認められる時期>
■2007
年4月 東北福祉大学特任准教授に就任。
■2007 年6月
『教育再生』を提言から実現のために、参議院選挙立候補を決意。
内閣官房教育再生会議担当室室長と横浜市教育委員会教育委員を辞任。
7月29日、参議院選挙当選。『教育再生』実現への新たなスタートをきる。
<2007年4月以降は今までの環境に依存せずに、より次のステップへ一歩へと妥協せずに挑戦する時期・そして内省>
お見事というか、着実に、教育の基盤作りへと着々と行動しています。